名古屋市南区の概要
海産業から工業へと移り変わる南区の歴史
名古屋市南部に位置する南区は、縄文・弥生時代には大部分は海でしたが、しかし東部の笠寺台地は古くから開けており、人々が生活していました。そのため縄文・弥生・古墳時代の遺跡が多く残っています。土器なども多数発掘されており、それらの多くは見晴台考古資料館に保管・展示されています。
海であったため、古くから海産業が盛んで、特に中世から製塩業が盛んに行われましたが、江戸時代には新田開発とともに衰退していきます。明治ごろには愛知海苔(あゆち海苔)の生産が盛んになりました。しかしこれも1959年の伊勢湾台風によって壊滅的な被害を受け、それ以降は工業地帯を形成することになります。
新旧ともにある南区の施設
南区の中央部には日本ガイシスポーツプラザ(旧名古屋市総合体育館)があり、様々なスポーツ競技やコンサート、イベントのほか、南区区民まつりが11月ごろに行われ、区内・区外から多くの人が集まる施設となっています。
ほかに古くからある施設として旧東海道沿いに尾張四観音の一つである笠寺観音があります。また一里塚としては市内に唯一現存している笠寺一里塚があり、土を盛った上に大きなエノキがしっかりと根を張っています。
トラックと物流
徐々に物流網を整備してきたトラック
平成24年度にトラックや船、鉄道、航空機などにより国内で運ばれた貨物の量は、約48 億トンですが、このうちの91%は、トラックが運んでいます。つまり、日本の貨物のほとんどはトラックが運んでいることになります。トラックが運ぶのを有利としているのは、野菜・果物・肉・魚などの生鮮食品です。輸送機関別の分担率は、昭和25年度にはトラックは8.7%、鉄道50.3%だったのに対して、平成24年度にはトラック51.3%、鉄道5%とトラックの重要性はますます増しており、大型トラックの年間平均走行距離は地球1.7周分とも言われています
ナンバープレートの色による違い
トラックのナンバープレートには、緑色のものと白色のものがあります。その違いは、緑色のナンバープレートは営業用、白色のナンバープレートは自家用のトラックになります。営業用というのはつまり、ほかの人の荷物をお金をもらって運んでいるトラックということです。他にトラックのナンバープレートには黒色のものと黄色のものがあります。これは軽自動車(軽トラック)用のものです。黒色のナンバープレートが営業用のもの、黄色のナンバープレートが自家用のものです。自家用というのは、自分の会社の荷物を運ぶと言う意味です。
内訳としては、全国のトラックの台数は平成24年度で約757万台ですが、自家用のものが約8割を占めています。